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古都鎌倉(1) 「はじめに」 .
『 12世紀末、それまでの日本史を、鉄と槌とたがねでもって叩き割ったような鎌倉幕府が出現する 』 司馬遼太郎
小生の地元・相模の国(神奈川)は中世期、日本の首都が在った所である。
「鎌倉」である。
過去に、鎌倉、江ノ島辺りは何度も遊んだことはあったが、「歴史的遺構」をジックリ訊ねたことはなかった。そして遂に今回、古都鎌倉の各寺院、古社、史跡などを巡ることができた。
ついては、個々の創建に纏わる因縁や経過を掘り下げ、当時の時代背景や人物像にスポットを当て、強いては当時の時代のウネリなどを探って観たいと思います。
古来、有史実以来、「日本の政治」の中心は主に大和・奈良、山城・京都、『相模・鎌倉』、そして江戸期以降の武蔵・東京である。
その「相模・鎌倉」であるが、史作家「司馬遼太郎」氏に“街道をゆく”シリーズの内、「三浦半島紀」がある。
氏の冒頭を引用すると・・、
『 相模国(神奈川県)の三浦半島はまことに小さい。この半島からみれば、ともに東京湾をかかえる東の房総半島(千葉県)などは、大陸のようにみえる。また、ともに相模湾をかかえる西の伊豆半島(静岡県)からみても、はるかに小さい。 狭い上に半島のほとんどが丘陵で、河川も細く、短く、従って水田面積もすくなかった。都市が未発達のころは、水田の多寡によってその地域の人口の大小がきまる。三浦半島は、当然ながら人口も少なかった。ところが、この半島から、十二世紀末、それまでの日本史を、鉄と槌とたがねでもって叩き割ったような鎌倉幕府が出現するのである 』と記されている。
何故そうなったか、そんな疑問を主題に・・、
現在の「鎌倉市」は三浦半島の付根に在り、半島に属しているか否かは疑問もあるところだが、市域部は神奈川県下の行政区域をを比較すると、けっして大きいほうではない。
都市としても近代的なビルが立ち並ぶ大都会とは云いがたく、これは歴史的遺産の史跡、名勝、社寺や都市景観の形成保存を図るための建物に関する規制や制限が行われているとはいえ、その辺の市町とかわりはない。
また市域の大半は丘陵、山地に属して、平面状に、放射状に発展することを、些かなりとも阻害している。
少なくとも今の鎌倉を思うとき、1180年代から凡そ150年間、日本の中心であった事が、理解できないのである。
しかし、これは厳然たる事実である。
更にこの「鎌倉時代」が成立してなかったら日本の歴史は全く平凡なもので、現世のこの時代が、このように成り立っていたかどうか、保障の限りではないとも云われている。
いわば鎌倉は日本の、日本人の地殻変動の震源地だったのである。
今は相模の国・神奈川県の主たる所在は隣町の横浜市にとってかわられているが。
こんな鎌倉の古(いにしえ)の史跡、寺院、神社を巡ることにより、往時の鎌倉の様子が浮かび上がり、言うなら日本の時代背景が甦ってくることは確かであろう。
鎌倉や江ノ島へは、すぐる日度々訪れてはいるが気がつけば、この地を歴史的意味合いでジックリ見学したことはなかった。
そして、小生自身同県、同郷の地ということで思い入れもあり、「日本一周旅行」(ブログ 「日本周遊紀行」で掲載してます)この度、古都・鎌倉を改めて巡ることにした。
或る年の6月の下旬、未だ梅雨が明けきらぬ間であったが、やはりというか、この鎌倉の歴史の重みや奥深さに圧倒されたのであった。
巡った寺社、史跡は凡そ20数箇所、これらの鎌倉を拠点とした歴史やその背景について其々記録に留めることにした。
ところで・・、
鎌倉時代以前の、つまり平安期までの鎌倉は、まだまだ草深い寒村だった。
しかし、平安期頃より源家ゆかりの地であったことは確かなようで、頼朝の父源義朝や長兄の鎌倉源太義平(悪源太義平)が居を構えていたようだし、奈良朝からの寺社も数社は在ったようである。
ご存知、源氏の守神である八幡宮(由比ガ浜・元八幡)も鎌倉期以前に既に在ったようである。
道路は、大船方面(鎌倉街道、亀ヶ谷切通し)から三浦六浦(金沢街道、朝比奈切通し)へ抜ける道がメインで、他に逗子(名越切通し)へ抜ける古道が在ったくらいで、他は「ケモノ道」か間道ていどだったらしい。
そしてその後、煌びやかな鎌倉の時代が到来するのである。
今回巡った古都鎌倉の各寺院、古社、史跡などの個々について、それらの創建に纏わる因縁や経過を掘り下げ、当時の時代背景や人物像にスポットを当て、強いては当時の時代のウネリなどを探って観たいと思います。
巡った寺社、史跡の順番・・、
鎌倉駅⇒鶴岡八幡宮⇒若宮大路・段葛⇒白旗神社⇒源頼朝の墓⇒大江・毛利・島津の墓⇒三浦一族の墓⇒東勝寺跡・高時やぐら⇒安養院⇒鎌倉宮⇒護良親王の墓⇒瑞泉寺⇒杉本寺⇒⇒建長寺⇒円覚寺⇒明月院⇒東慶寺⇒常楽時⇒高徳院・鎌倉大仏⇒長谷寺⇒光明寺⇒稲村ヶ崎⇒満腹寺⇒龍口寺⇒常立寺⇒江ノ島「江の島弁才天」
(太字は世界遺産(推薦)指定地)
次回早速ながら、「鶴岡八幡宮」から案内いたします。
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