古都鎌倉(21) 「光明寺」 .
光明寺・内藤家墓地(重文)
次に、長谷寺より海岸伝いの2kmほど南下した材木海岸に沿って「光明寺」を訪ねた。
寺の「山門」は、余りの大きさに真下に立つと威圧されるようだ、それもそのはず、高さは30m(ビル八階建てに相当)ほどもあり「関東一」の規模とか。
因みに、山門(三門)はお寺の門のことであり、お寺の門には総門というのがあるが、これは入り口を示す門のことで、主もたる門は「山門」である。
二階には釈迦三尊、四天王、十六羅漢などが祀られ、同時に、見晴らしは由比ガ浜、江ノ島、富士山の眺めはすばらしく、彼岸の中日には西方極楽浄土をさながら見る思いがするという。
尚、定時的に有料で(300円)山門拝観を行なっているらしい。
その巨大な山門をくぐると、直線状の石畳の正面に本殿があり、ここでは大殿と称している。
この寺院は、正確には「天照山蓮華院光明寺」といい、関東における浄土宗の大本山である。
創立は、鎌倉時代初期の西暦1243年といわれ、寺を開いたのは浄土宗三祖といわれる「良忠上人」である。
浄土宗の宗祖は、ご存知「法然」であるが、その弟子が聖光上人といい、その又弟子が石見国(島根県)出身の「良忠上人」であった。
上人は、鎌倉幕府第四代の執権、北条経時公の帰依を受けてこの光明寺を開かれたといわれている。
その後も歴代執権の帰依をうけ、多くの伽藍を整え、関東における念仏道場の中心となり、当時の天皇・「後土御門天皇」より『関東総本山』の称号を受け、国と国民の平安を祈る「勅願所」となった。
本堂の横奥に「内藤家」の廟所(墓所)がある。
磐城・平藩の初代から日向・延岡藩の幕末まで、代々の墓所が一同に祭られているという。
大型の宝篋印塔(ほうきょういんとう)や六観音、六地蔵など、200基以上の石像遺品が美事に並んでいる。
草むらに横一列に順よく並ぶ墓石・石像群は美的でもあり、壮観であるが、一種異様な光景でもあり鬼気迫る迫力ですらあった。
このように江戸初期から末期まで代々の大名の墓が全部一箇所に揃っているのは大変珍しいという。
鎌倉市の史跡に指定されている。
小生の実家・田舎は福島県「いわき市」で、江戸期においてはこの地方を磐城平藩と称して、鳥居、内藤、井上、安藤の四大名が統治していた。
中でも内藤家は永く、江戸初期の1622年から1747年まで125年間、六代の長きに亘って治めていた。
内藤家は徳川家譜代として戦国期より活躍し、「大阪の陣」では江戸城の留守居役を任されるなど、江戸幕府を開くにあたり功績は大きい。
江戸中期六代目・内藤 政樹の代の磐城平藩では、天変による洪水や凶作、また悪政などにより藩財政の破綻が続き、そのため重税で苦しめられた領民の不満が鬱積していた。
そして遂に元文3年(1738年)に「元文事件」と呼ばれる大規模な百姓一揆が発生する。
四方から平城下に押しよせた一揆勢は凡そ2万人、富豪や商家を打ち壊し乱入、 役所、獄舎をも襲った。
その期間は4日間にも及んで武士団に抗し訴え続け、ついに納税減免に成功したという。 だがこの騒動は幕府の知れる事となり、領主・内藤政樹は日向(宮崎県) 延岡城7万石へ移封となり、磐城平を去ることになる。
去るに及んで次の歌を残したという・・、
『 日に向ふ 国に命を 延べおかば
またみちのくの 人に逢うべし 』
九州、日向延岡・内藤藩は、磐城平藩と同様の年月(124年)に亘り藩政を治める。
幕末、薩摩藩を筆頭に倒幕派の南九州諸藩の中にあって、徳川譜代藩であるがゆえに佐幕(幕府を補佐する)の立場を採らざるをえず、苦況に立たされるが。
内藤家・江戸上屋敷は、江戸城外郭門の「虎の門」に続く外堀辺りにあった。
当家は、磐城・平藩より財政難の連続で、巷では内藤貧乏の守と悪態をつかれ、そのあまりの質素な暮らしぶりを揶揄されたほどの内藤本家であった。
しかし、七万石の小藩ながら、その後もなお私財をつぎ込み城下町の再興や学問振興に尽くすなど民衆に支持された名家でもある。
そんな生活ぶりの中、内藤家は代々「浄土宗」を崇拝信仰し、その菩提寺は、鎌倉・材木座の「天照山蓮華院光明寺」であった。
「光明寺」は浄土宗の七大本山の一つで、江戸時代には徳川家康によって関東十八檀林(だんりん・仏教の学問所、平安時代の檀林寺に始まるが、学問所を檀林と呼ぶようになったのは室町末期で、近世は各宗で設けていた)の一つに数えられ、その筆頭に位置づけられた名刹である。
延岡城の内藤家は、日向灘の海に面した高台にあるとか・・、
江戸住まいの日々、彼岸や盆の参詣のひと時には、内藤家の人々は鎌倉・材木座の海に重ねて、日向灘を思いだしていたに違いない。
次回は、「稲村ヶ崎」
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