古都鎌倉(20) 「長谷寺」 .
参考地図:鎌倉市観光案内図(PDF・観光協会編)http://guide.city.kamakura.kanagawa.jp/kanko_shiryo/PDF/mapB.pdf
「本堂」及び木造十一面観音立像(本尊:像高9.18m)
大仏さんの前の道路はお土産屋が並んでいて賑やかである、が車の通りが頻繁なのが些か難儀である。
「長谷寺・長谷観音」は、大仏さんから2~300m南の方角へ行ったところに在った。
広い駐車場の入り口近くに拝観料の受付がある。
昨今は些か有名になると何処も拝観料を取るようになり、数多くの寺社を巡る時、駐車場料金等を合わせると拝観数にもよるが少なからずの出費である。
立派な門かぶりの松を抱いた山門を入ると、すぐに緑濃き回遊式の庭園が控え、四季折々の花が取り囲む、実に美的景観である。
つずら状の階段をゆくと、間もなく煌びやかな本堂に出た。近年に再建された本堂の中は、鎌倉時代の作とされる9mもの巨大な観音像が立つ。
その金箔は、足利尊氏の寄進と伝えられる。
由比ガ浜が一望できる広場の一角に、「経蔵」があって目を引いた。
先般、京都の嵯峨野の「清涼寺」を拝観した時、同じ造りの「経堂」があったのを思い出した。
回転する「輪蔵」があり、その中に一切経の経本が収められている。
人の手によって一回周すると、一切経読誦の功徳があるといわれる。
経蔵、経堂とも「浄土宗」特有の建物で、釈迦の教えである経典「一切経」が内臓されている。
他にも長谷寺は梵鐘や弁天堂と洞窟佛と見るべき所は多い。
一般に、鎌倉には七十余の寺があるといわれるが、大仏さまと長谷観音が最も有名で、八幡宮周辺の史蹟と共に鎌倉観光のベストコースになっている。
巡礼者のほか、多くの一般の人々が日々参詣している。坂東三十三観音の第4 番札所である。
私事になりますが・・、
小生宅のすぐ近くに「飯山の観音さん」、「縁結びの観音さま」として知られる長谷寺(通称飯山観音、神奈川景勝五十選、花の名所百選)が在る。
桜の名所で、春にはお花見客でも賑わい、坂東三十三ヶ所巡礼の第六番札所である。
小生の第一子が誕生した折、こちらの観音さんで「御七夜」の祈願を行ったところでもあった。
「長谷寺」は、信州善光寺や京都清水寺など名の通った寺院とともに全国的な広がりのある寺院であり、一般に「長谷観音信仰」といわれている。
その根本に位置するのはご存知、「奈良大和の長谷寺」である。
観音様は、「本尊十一面観世音菩薩」といわれ右手に錫杖を執り、 方形の台座に立つ、 いわゆる 「長谷寺式」 と称する独特の形式で現代に至るまで広く信仰を集めているという。
日本三大長谷寺(大和・奈良の長谷寺、鎌倉の長谷寺、三番目は各寺が名乗りを上げてるらしいので即断は出来ないようだ)をはじめ、長谷寺の分布は全国に200個所以上の関係寺院があるという。
その開祖の歴史は古く、奈良朝の初期までさかのぼる。
播磨の國の「徳道上人」が楠の霊木から十一面観音を刻み、これを本尊として大和の国に長谷寺を開創したのが始まりといわれるが。
ある日、徳道上人が病のため危篤状態になってしまう、そのとき、夢の中で閻魔大王が「おまえはまだ死ぬことは許さない。三十三カ所の観音霊場を造り、人々に巡礼を勧めなさい」と言われた。
お上人は、それに従って、三十三霊場を定め、最初に巡礼を行ったのが大和の国・長谷寺だといわれている。
しかし、この当時は三十三霊場は世の人の信用を得られずに巡礼はあまり発展しなかったという。
時代はやや下って、平安中期以降になって長谷寺は観音霊場として貴族の間で信仰を集め、さらには武士や庶民にも信仰が広まった。
その後は、地域を問わず、 時代を問わず信仰の広がりをみせ、特に勧化(かんげ・仏の教えをすすめること)という手法によって諸国に霊験を説き、 人々に伝播していったのであろう。
そして鎌倉であるが・・、
天平八年(736年)、そのころ勧化に出て、諸国を行脚していた徳道上人は小田原の近くの里に至った。
その夜、老僧が霊夢に現れ、「我は汝が本願の楠木の観音なり。今、縁に従って由比ヶ浜に出現せり」と告げた。
夢から覚めた上人は、急ぎ鎌倉に行き、尊像を拝して御堂を建立したという、鎌倉・長谷観音の開山である。
「長谷寺」は、鎌倉の海が一望できる風光明媚な高台の位置にある。
次回は、 「光明寺」
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