古都鎌倉(4) 「鶴岡八幡宮と大銀杏」 .
写真:参道階段の大銀杏(左側)
『 箱根路を わが越えくれば 伊豆の海や
沖の小島に 波の寄る見ゆ 』
源実朝が編纂した「金槐和歌集」より自身の一首である。
実朝は政治の実権は既に北条氏に移っていたため、早くから京風文化に憧れ、和歌、管絃、蹴鞠などを好み、特に和歌では第一級の歌人といわれた。
実朝が右大臣に任官したのをうけて、次の年の承久元年(1219年)正月、八幡宮本社において拝賀の儀式が盛大に行われた。
祝賀式が無事終了して、実朝は数人の従者とともに本殿から幅員のある石段を降りていった、途中に公孫樹(いちょう)の植木があった。
現在、太鼓橋から石畳の参道をゆくと、中ほどに舞殿(神楽殿)がある。
舞殿は源義経の愛妾だった「静御前」が歌舞を演じた舞台である。そこから幅の広い61段の大石段を上ると、すぐに煌びやかな本殿が鎮座している。
その石段の途中左側に樹齢千年以上ともいわれる大公孫樹がある。
この樹は二代目ともいわれるが、本殿と石段とそしてこの公孫樹の樹が三味一体の構図を成して実にいい。
実朝が公孫樹に近ずいたとき、木陰で待ち伏せていた甥子の公暁(くぎょう・頼家の子、)に「親の敵・・覚悟めされい・・」といって切り伏せられ首をはねられた。三代将軍源実朝暗殺事件である。
頼朝は政治的手腕に優れ、一代で鎌倉幕府を創設するが、二代頼家、三代実朝共父に及ぶべきもなく凡庸な人物であったらしい。
その為、頼朝以来の御家人が不平不満に陥り、はては同士内抗争が起こり頼家、実朝は失脚暗殺に陥ったという。
頼朝なきあと鎌倉は北条時代の安定期をむかえるまで、動乱の坩堝と化していた。
ともあれ実朝の暗殺で源氏血統は絶やしたのである。
次回は、「白旗神社」
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