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湘南紀行(9)平塚 「中原御殿」 .
先の寒川神社の項でも述べたが・・、
国道134号線が相模川を渡る手前、柳島の信号を右に曲がったところの1号線と新湘南バイパスが交差する辺り、国指定史跡の「旧相模川橋脚」がある。関東大震災とその翌年の地震によって突然橋脚が水田の中から姿を現したという。
往時は、ここが相模川の本流であったが、氾濫を繰返しながら相模川がその流れを現在の地である西に移動していったといわれる。
この橋は、1198年に源頼朝の重臣・稲毛三郎重成が亡妻供養のために相模川に架けたといわれている。
そして、源頼朝はこの橋の竣工式に出席した帰途、義経や弁慶の亡霊に遭い、驚いた馬から落馬してその怪我が元で死んだという通説がある。
国道1号線の鳥井戸橋の南側にある御霊神社は、この義経の霊をまつったものといわれ、北側の鶴嶺八幡社参道入口にある弁慶塚・供養塔が在る。
又、俗説によると頼朝の乗っていた馬が雷の音に驚き一散に走り出したため、頼朝は河原に投げ出され石にあたって絶命したと、馬は尚も走り止まらず相模川に入水してしまったとされ、以来この川を通称「馬入川」と呼ぶようになった・・と。
確かにこの川は、小生の住む厚木市までは「相模川」と称しているが、平塚市に入ると「馬入川」と名称が変わっているのである。そしてR1号線に架かる橋は「馬入橋」と名付けている。
この馬入川を渡ると「平塚市」である。
湘南平塚で有名なのが「七夕祭り」がある・・、毎年7月7日の七夕の日に催される夏の星祭である。七夕とは、元来中国伝来の星を祭る行事だが、それがロマンチックな七夕伝説として日本に伝わり、日本の年中行事となったものと云われている。
日本で代表的な七夕祭りは、ここ平塚と仙台が有るが特に平塚の七夕祭りは規模が大きく、2005年の七夕祭りでは7月6日から10日までの5日間で天候やや不順にも関わらず全国から270万人が訪れたという。
湘南平塚七夕祭は、大きな竹装飾が街一杯に立てられ、沢山の屋台が軒を連ねる。昼はイベントやアトラクション等が平塚駅前のメインストリートで繰り広げる。また、夜は竹装飾が美しくライトアップされ、七夕祭りをより一層豪華絢爛なものにしている。
又、平塚市は、Jリーグで活躍しているサッカーチーム「ベルマーレ平塚」(中田英寿が出身)の本拠地としても知られてる。
さて、湘南平塚の街道についてであるが・・、
近世、江戸幕府開府以来、江戸への往来道の整備が急がれた。当時、平塚は、平塚宿及び中原御殿といわれる交通の要所があった。
徳川家康が東海道を中心に宿駅・伝馬制度を定めてほぼ400年、平塚宿は御存知旧東海道53次の江戸よりの七つ目の宿場にあたり、慶長六年(1601)に成立している。
平塚宿の宿場内には加藤本陣跡(江戸時代の宿駅で、大名・幕府役人・勅使・宮門跡などが宿泊した公認の宿舎)、高札場跡(法度=法令・掟書・禁止令などを記し、また、さらし首・重罪人の罪状を記し、人目をひく所に高くかかげた板札。
立札、箱根宿を除く八つの宿場すべてが江戸から京都に向かっていずれも右側に高札場が設置されていて、これはある種の目的があったのでは・・といわれる)、江戸見附跡(見附は元々城下に入る門を示す場所で城門のこと。
ここでの見附は宿境を示し、見附から見附までが正式な宿内であることを示す目印であった、京見付跡は花水川付近にある)などが、平塚駅付近に見られる。
その「中原御殿」は徳川家康が江戸に開府して間もなく、家康が駿府と往来する際の休息や宿泊、又、将軍の巡遊や鷹狩に使われていたされ、さらには幕府の代官陣屋としての機能も果たしていたという。
ここから江戸へ向かう街道を「中原街道」と今でも呼んでいる。
中原街道 (なかはらかいどう)は中世以前から続く古道で、1590年に豊臣秀吉が小田原の北条氏(後北条・北条早雲が祖)を倒し全国統一なった時、家康に江戸・武蔵野国を賜った。その家康が江戸入りした際もこの街道を利用したと言われ、その後東海道が整備されるまでは江戸に向かう主要な街道であった。
街道沿いの小杉(現在の川崎市中原区小杉御殿町)と平塚中原に御殿が作られると、江戸時代には江戸虎ノ門(現在の東京都港区虎ノ門)から平塚中原(現在の神奈川県平塚市御殿)をつなぐ街道であったため中原街道と呼ばれるようになった。
東海道が整備されると幹線道としての役割は東海道に譲るが、この街道は江戸-平塚間をほぼ直線につなぐ最短道路であり、脇往還として沿道の農産物等の運搬や旅人の最速ルートとして利用されたという。
別称を相州街道、小杉街道とも呼んでいる。
現在の中原街道は、江戸虎ノ門(日比谷公園付近)から五反田、平塚橋(平塚という地名、建物名もある)、洗足、丸子橋、小杉(中原、御殿、陣屋といった地名が残る)、佐江戸(横浜市都筑区佐江戸町、左方向が江戸という標識からの地名・・?)、川井、瀬谷、桜ヶ丘、用田、寒川、田村を経て終点として相模平塚の中原で東海道に繋がっている。
凡そ60k程の街道であり、江戸時代のルートと多少異なるが主要地方道(幹線道路)として多いに利用されている。
序ながら、中原街道の北側を「矢倉沢往還」道が古来より通っていた。
現在の国道246号線で、通称「東京沼津線、246・ニーヨンロク」と呼んでいるのは周知である。
矢倉沢往還(R246で一部異なる))は、江戸城の「赤坂御門」を起点にして多摩川を二子で渡り荏田、長津田、国分(相模国分寺跡)を経て相模川を厚木(小生の住む町)で渡り、大山阿夫利神社の登り口の伊勢原に行く。
更に西に善波峠を経て秦野、松田、大雄山最乗寺の登り口の関本、矢倉沢の関所に行く。
その後足柄峠を越え、御殿場で南に行き沼津で東海道と合流する。
日本武尊が東征する時、足柄峠を通って矢倉沢から厚木まで矢倉沢往還を行ったという逸話は有名で古代、中世から公用の道、物資流通の道、信仰の道と様々な機能を持っていた。
この「信仰の道」とも云われるのは、江戸時代中期以降庶民の大山信仰が盛んになり各地から大山詣での道が拓け、その道のまたの名を「大山道」とも呼ぶようになった。
この頃の大山道の代表的な宿場町は「厚木宿」で、交通の要衝として多いに賑わい「小江戸」と呼ばれていた。
次回は、 湘南・「大磯」
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