google.com, pub-6886053222946157, DIRECT, f08c47fec0942fa0 日本の世界遺産紀行;日光編: 湘南紀行(6)茅ヶ崎 「浜降祭と寒川神社」

2012年4月4日水曜日

湘南紀行(6)茅ヶ崎 「浜降祭と寒川神社」

.




湘南紀行(6)茅ヶ崎 「浜降祭と寒川神社」 .




寒川神社
写真:相州一の宮「寒川神社・本殿」





この湘南のビーチに、年に一度の大祭が開かれる。 「浜降り祭」である。

毎年7月の海の日、早朝 茅ヶ崎海岸柳島側の漁港付近、サザンビーチの西隣りで行われる。
この祭事は寒川神社(寒川町)の露払いで、近郷各神社を宮立ちした40基あまりのお御輿が茅ケ崎の南湖海岸に集まり始め、御輿は老若男女の担ぎ手にもまれ、海に分け入り、禊ぎ(みそぎ)を行なうため海の中へ、そして輿をもみあう。

元々、寒川神社の御神体が海に打ち上げられた事から始まるといわれ、昔から海に輿を入れて行う祭事であり、浜降祭は「関東三大奇祭」の一つでもある。




茅ヶ崎と平塚の市境である相模川のやや上流の、つまり茅ヶ崎市の北隣り、小生の住む神奈川県厚木市の南隣接に小さな地域で「高座郡寒川町」が在る、「さむかわちょう」と称するが、この小さな町の中央に「寒川神社」が鎮座している。


小生、家族一同は正月の初詣や何かの祈願が有るときは必ずと言っていいほど参拝をする神社である。

寒川神社は「相州・一の宮」に定められ、相模国を中心に広く関東地方にまで知られ、相模国、関八州総鎮護の神として古くからの信仰が殊に厚い。
歴史的にも1500年以上もの昔に、天皇勅願として創建された由緒正しき神社であると言われる。

祭神は、寒川比古命(さむかわひこのみこと)、寒川比女命(さむかわひめのみこと)と兄妹神で、いずれも「水の縁」のある神様である。

神社の古い縁起書によると、
『 明治4年国幣中社(平安期に定められた神社の格式)に列せられたが、明治7年には「特選神名牒」(明治政府が「延喜式」所載の式内社について、各府県を通じて現状を報告させ、それを吟味、編纂した資料)の選があり、その際の記事に「皇太神宮儀式帳(伊勢神宮)に所載される末社・牟彌乃神社(むみのじんじゃ)の御祭神が寒川比古命・寒川比女命であることにより、新たに御祭神にこの一説が加えられ、明治9年「官社祭神考證」により当社の御祭神は寒川比古命・寒川比女命の二座とせられました』、とある。   


水の縁といえば、寒川神社のすぐ横を相模の大河「相模川」が流れる。
厚木、海老名の以南東の地域では沖積平野となり、自然堤防や砂州・砂丘地帯となっていいて平坦に見える平野の地形も若干の地形の凹凸がわかる。


ところで昔の相模川はよく氾濫したらしく、江戸時代の絵図でも大きく蛇行していたことが判り、洪水が発生しやすい流れだった様子がわかる。
そのため寒川神社に近い相模川で禊を行っていたという説もある。昔はこの相模川は、かなり大きな川幅で流れていたか、或いはもっと東の方角で流れていたかのいずれであろうと。

現在の相模川に架かる馬入橋(国道1号線)より東へ凡そ1kmのところ、神社より南へ4kmほどのところに鎌倉期に建造されたとされる「旧相模川架橋脚」の遺跡が発掘されている(国指定史跡)。

鎌倉期創世の頃この辺りは鎌倉と京都を結ぶ街道の道筋であり、交通の要衝でもあった。
この地区に源頼朝の家臣・稲毛重成が建造した相模川架橋の完成祝賀に主君・頼朝が招かれ、その帰り道、馬入川(ばにゅうがわ:当時は馬入川といい、現在も平塚地区では馬入川の愛称がある)のたもとで落馬し、これが元で頼朝は死去したと伝えられている。

尚この時、頼朝の乗ってた馬が驚いて川へ突入したため、川の名前が「馬入川」と自然発生的に付いたというが・・?。

丹沢山系を水源とする急流・相模川は大昔は相当の暴れ河で、周辺地域に度々大水害をもたらしたということは良く知られている。
そのため寒川神社は相模川の治水ために勧請された神様らしいというのが一般的な見方である。


次回は、 更に「寒川神社




【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ   C・掲示板   FC2 H・P   gooブログ   yahooブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)

【日本の世界遺産紀行】
北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観

東北紀行2010内陸部    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002


【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」




.

0 件のコメント:

コメントを投稿

01. 15.

トラッキング