google.com, pub-6886053222946157, DIRECT, f08c47fec0942fa0 日本の世界遺産紀行;日光編: 古都鎌倉(9) 「東勝寺跡・高時やぐら」

2012年3月8日木曜日

古都鎌倉(9) 「東勝寺跡・高時やぐら」

..「鎌倉は世界遺産推薦地として記載しています。」




古都鎌倉(9) 「東勝寺跡・高時やぐら」 .


腹切やぐら
写真:北条高時の腹切やぐら 



鎌倉期、最後の執権・第14代「北条高時」が発した言葉は・・、

未だに記憶に残っている、NHKの大河ドラマ「太平記」の壱シーンで片岡鶴太郎演ずる「北条高時」が・・、
『・・・とっとと退散しろ、もう鎌倉はお終いじゃ、・・畜生、鎌倉が焼けて、後になにがあるというのか、後には、ろくな世がくるものか・・、鎌倉以外に行く所などない。潔く自害しよう・・、』
十四代執権・九代得宗(北条家当主)北条高時は腹を欠き切った、享年31歳であった。 この時、東勝寺は二日間燃え続け、後に8百数十の屍骸が残っていたという。 以降の西暦1333年になって、140年間続いた鎌倉幕府は灰になったのである。
東勝寺は鎌倉幕府の三代執権・北条泰時が創建した寺院で、北条家代々の菩提寺であった。
鎌倉の市街地から滑川の東勝寺橋を行くと、すぐに都会とは思えぬ山間の鄙びたところに出る。左側に夏草で覆われた平地があり、「東勝寺跡」の碑文がある。また、すぐ裏山中に自害した一族の墓「高時腹切りやぐら」があった。

「高時」といったら・・、
愚鈍執権の代名詞のようにいわれるが、最後に登場した得宗によって滅亡へ加速したようで、ある意味気の毒な人ではあった。 ただ個々人の統治者云々もさることながら、歴代の一族支配は足利、徳川政権に観るように、創世記、隆盛期、安定期、衰退期、滅亡期と時代の趨勢(すうせい)の常道であったのかもしれないのである。
ともあれ、ここで何百人もの人々が一斉に自ら腹を切り、首を掻き落とし、黒煙を上げて燃え盛る建物と共に終焉を遂げた武士達を想像すると、歴史の一時期とはいえ嘆息微涙の念にかられるのである。 この地は、今でも北条一族の怨念が漂っていて、霊感のある人は心身に感ずるものがあるとも云われる。
因みに、東勝寺はただちに、より大規模に再建されたが、戦国期に再び炎上消失している。

北条氏について・・、 
北条氏は概ね「時政」から世に出る、初代・時政は希代の策士であったといわれ、伊豆の豪族だった北条家は、当初は、流人として当地へ落ちてきた頼朝の見張り番であった。 娘・政子と婚姻関係が成立した時、源氏の正統である頼朝に接近し、平家追討の院宣がだされた時点から、筆頭御家人として頼朝を世に出した。
頼朝なき後、愚鈍な二代頼家、三代実朝を退け、将軍実朝の時、時政は初代の執権に付いている。 執権とは単には政権を執ること、つまり、鎌倉幕府(国会)の政所(内閣)、別当(大臣・長官)のうち最上級者(総理大臣)の称で、将軍(国会議長)を補佐し、政務を総轄した最高の職である。 源実朝の時、北条時政がこれに任ぜられ、以後北条氏が世襲することになる。
武家政治を起こしたのが平清盛と源頼朝ならば、その政権を長く続けたのは北条執権であり、十四代執権・高時まで存続する。 特に時政-義時―泰時-時氏―時頼-時宗の六代は極めて優秀な人物で、これだけの人が政権を握っていれば国も安定していたはずといわれる。 又、北条家当主を得宗(嫡子相続)と称し、義時―泰時-時氏―時頼-時宗-貞時-高時が一族の得宗を引き継いだ。執権=北条家の当主ではなく、当主一族の仲から選ばれたのが執権である。 江戸期、徳川家の宗家のようなものであろう。
因みに、北条、足利、徳川の三武家政権は、それぞれ16代、15代、15代続いた。前任者と後継者の間に、血の濃さにあまりこだわっていないという点で、北条執権家と徳川将軍家はよく似た傾向を示しているという。
更に鎌倉幕府の将軍は、源氏将軍三代以降、藤原将軍(摂家将軍)二代、皇族将軍(宮将軍)四代と計九代続いている。

  北条執権   執権年代   執権時の主要事項

1、北条時政  1203-1205  頼朝の挙兵に参加、比企能員を討ち、源頼家を幽閉、源実朝を将軍にして初代の執権になる
2、北条義時  1205-1224  和田義盛を滅ぼす北条執権政治の確立、承久の乱を鎮
3、北条泰時  1224-1242  「承久の乱」、六波羅探題設置、評定衆を設置、貞永式目の制定
4、北条経時  1242-1246  武蔵守
5、北条時頼  1246-1256  三浦泰村を滅ぼす、北条氏の権力強化、建長寺を開山
6、北条長時  1256-1264  六波羅探題、宗尊親王擁立
7、北条政村  1264-1268  
8、北条時宗  1268-1284  蒙古「元寇の役」をのりきった、円覚寺を開山
9、北条貞時  1284-1301  
10、北条師時  1301-1311  相模守
11、北条宗宣  1311-1312  六波羅探題
12、北条熙時  1312-1315  持明院・大覚寺両院の対立
13、北条基時  1315-1316  新田義貞の鎌倉攻略の際、化粧坂を守るが自害
14、北条高時  1316-1326  13歳にして執権に就任、新田義貞の挙兵と足利尊氏の裏切りにより幕府の命運も途絶え、北条の菩提寺である東勝寺において一族郎等と共に自害
15、北条貞顕 1326-1333

次回は、 「政子の安養院



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