google.com, pub-6886053222946157, DIRECT, f08c47fec0942fa0 日本の世界遺産紀行;日光編: 古都鎌倉(15) 「円覚寺」

2012年3月15日木曜日

古都鎌倉(15) 「円覚寺」

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古都鎌倉(15) 「円覚寺」 .



写真:円覚寺本堂仏殿、 



建長寺から更に鎌倉街道を北に行くと、やがてJR横須賀線が右手に現われる。
間もなく北鎌倉の駅だが、その直前に池を挟んだ線路の向こう側に広大な伽藍が見えてる、「円覚寺」である。 

円覚は、「えんかく」でなく「えんがく」と濁って読むらしい。
大きな石柱に刻文が「臨済宗大本山円覚寺」とあり、同じく左側に「北条時宗公御廟所」とあった。
階段を上がると、やがて巨大な総門が出迎える、その後背に山門、仏殿、方丈と段階的直線に並ぶ。 

更にその奥に各塔頭(たっちゅう)が配置されている。
塔頭」とは、本寺院内にある小寺院・支院、分院を指す。
円覚寺の塔頭の数は、現在の鎌倉の寺の中では一番多く18ヶ寺あり、最盛期には40数箇所あったとされる。

鎌倉には、円覚寺を頂点とした同じ宗派の寺で東慶寺(後述・・)、浄智寺、瑞泉寺といった臨済宗円覚寺派のお寺がある。


北条時宗の父、時頼が創建した建長寺が官営的性格の強い寺院・官寺に比して、こちら「円覚寺」は北条家の私的な性質をもつ寺院で、私寺ともいわれる。 

建長寺を開山した高僧の「蘭渓道隆」はすでに没していたため、やはり中国の高僧・「無学祖元」を招いて鎌倉幕府八代執権北条時宗により創建され、1282年に完成している。

無学祖元は、「弘安の役」(元寇・蒙古襲来)直前の世情騒然たるときに中国より亡命同様に日本に帰化している。
多くの武士たちの精神的な指導者となり、武士階級に臨済宗の教えを浸透させる基盤を培った。

僧は一時期、円覚寺と建長寺の兼任座主を務めながら多くの弟子を育てるが、後に五山派の主流となった「夢窓疎石」(夢窓国師)を輩出した。

創建の目的は主に、鎌倉時代に時の執権・北条時宗が、この時代におきた元寇・「文永の役、弘安の役」の戦没者を追悼供養する為に建てたといわれる。 
北条得宗家の祈願寺で、鎌倉時代には北条家によって手厚い保護を受けた。


円覚寺は、鎌倉五山・第二位の寺挌である。
山門より右手高台に大きな梵鐘がある、ここでは洪鐘(おおがね)と称しているが、さすがに大物で大晦日NHKの除夜の鐘でもお馴染みである、国宝指定。



余談になるが・・、
総門前、JR線踏み切りの向側に池がある、「白鷺池」(びゃくろち)というが円覚寺境内に含まれるという。
明治期の戦時たけなわの頃、軍港・横須賀へ鉄路を引くため、時の政府による強引な申し出によって境内を分断する破目になったといい、これが今のJR横須賀線である。


次回は、 「明月院




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